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2012.10.04 Thursday

倭姫命 光鏡納め神事 5 常神社と沖縄の繋がり

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    常神半島先端の「常神社」近づくと、沖縄の古い神歌を自然に口づさむ自分がいました。

    この沖縄の古い神歌は、2011年11月に行った西京都神事で常神半島へ来た時にも出た神歌ですが、その理由が明確にわかりました。まず神歌を歌ったあとに降りた神メッセージをお読み下さい。

    常神半島に向かう車中の神メッセージ 

    あまみ やつきよの 海山こえて 人のつながり
    命繋ぎは おじのたと 母神守るは あせちがみ

    うつよの流れに流されて 片隅思うは はて島の
    はてしげ祖先の思いたて 思い心のはせさんよ

    愛に道重ね 歌拝み 山たて 神立て 海の神
    ささえ海たて ささえ月の神 幼子こころを慈しむ

    あまみ 月夜の捧げた身神世の夜長のおさなぎよ
    うつり栄えたまらんば 支えし祖先の思いきや

    やーしーとうーよー かーちーむーしー
    やまとうかむしいー やんとうや
    とうーしー とうーしー


    (解釈) アマミキヨ(沖縄の祖神)と呼ばれ、多くの大陸を渡り歩いた海洋民族は、海山越えて島を渡り、命の繋がりをそれぞれの地に繋いで参りました。

    生命を繋ぐのは叔父たちの仕事ですが、奄美諸島で子供を生んだ母たちの子孫は、「あせちがみ」と呼ばれて神守り、先祖守りをしております。

    世の戦乱に巻き込まれて沖縄や奄美諸島から連れてこられた巫女たちは、遠き故郷の事を思い、先祖に感謝する祈りができないことを悲しんでおりました。

    月夜の晩になりますと、父母の住む地まで繋がる海に向けて歌と踊りをしながら「お父さんお母さん、何も恩返しできなくて申し訳ありません」と拝んでおりました。

    奄美諸島で月夜の晩に身を捧げた時は幼い子供であった為にその意味がわかりませんでしたが、今、思えば、生命の繋りを守るために身を差し出した先祖たちの思いの深さを感じております。

    命を繋いで下さりありがとうございます。

    海山超えて会いに行けないことはとても寂しいですが、いつもいつも、オジーやオバーのことを思って歌と踊りをしながら拝んでおりますよ。

    ご先祖様たち、ありがとうございます。




    ※沖縄や奄美諸島からここ常神半島まで連れてこられた巫女たちの想いを感じると、かわいそうだと思うかもしれませんが、想像できない大きない意味と役目を持っていたからこそ、この地に鏡族の巫女として入ったことを「常神社」の神功皇后からのメッセージでわかりました。




    常神社 神功皇后メッセージ

    ご存知の通り、私は、この地を守る為に、そして、私の夫(仲哀天皇)、またその血筋を守る為に働いておりましたが、この国を守る為に、自分の父母の土地を攻める事になった事について、多くの民達の反乱と反感がありましたが、何故、そんな事を私がするのかという思いを誰にも深く解ってもらえず、とても苦しんでおりましたが、今こうして、あなた達が訪れてくれた事で、本当の事をお話しする事が出来ます。ありがたく思っております。

    思い起こせば、この地に来るまでに、多くの戦いがありましたが故、その事について、父母の、先祖の家系を問う事や、また、娶られた母方の血筋を問う事については、互いにその事を言わぬようこの国を守る為に、母国が無くなろうとも、この地に集まった思いを束ねなければいけないという思いが、私の夫である思いでありましたが故に、私は、その思いを繋がなければいけないという事に関して、誰よりも強く、この国の民をまとめなければいけないという気持ちがありましたが故に、ある意味、親族、家族を殺しにいかねばならぬ辛さがありましたが、この地に移り住んだ多くの民の思いを一つにまとめ、国家として成す為には、誰かがその役をせねばならぬという事を解ってくれる者が少なかったけれども、私の覚悟をもって戦いに挑む事になりました。

    その事について、いろいろ後から書かれておりまするが故に、私の血筋についても、おおやけに出来ず、その事を問う者達の思いを納める為にも、ある意味、「百済」と書いたのでしょうね。私は、何も怒ってはおりませぬ。ただ、その事を解ってくれる者が、必ずいると思っておりましたからこそ、この国を守る本当の、その国を守る意味を解っている者達が来る事を待っておりました。

    ここには沢山の巫女達も、子供達も、その父母も含め、多くの家族が移り住み、そこから京都や、奈良へ、各方面へ、いろいろな事情があって動いて行きましたが、私が何故、ここに祭られたかは、私の本意ではありませぬが、ここに居れという事で、その守りをさせておりまするが、本当の思いは、この国を守る事について、どれ程多くの民や、先祖が、父母が、悲しむ心を持ちながらも、この国では争わない国を造る為に、私が逆の一手を組むしかなかったというしかありません。

    多くの者達が、その後を追い、命をかけて、自分の住む家族、親族の土地へ行き、その仲間を殺しに行く思いは、とても辛く、苦しいものでございましたが、この国を守る為には、誰かがその廃人的(はいにんてき)行為をしなければ、誰も、神に背く事は出来ぬように、私が自分の思いでこの国の事を語る事は出来ません。

    多くの者が、その思いを持ってこの地を守っておりまするが故、私は、誰かを問う事は致しません。

    ただ、正しき心と、この国を守る思いを正しく伝え、語り伝えて下さいませ。どうぞ、よろしくお願い致します。ありがとうございます。 


    (解釈)
    このお話しは、決して歴史に書くことができない皇族同士の密約なのですが、今回、母として、夫と子供たちを守るために新羅征伐に出た意味を正しくご理解下さい。まず、一般的に公開されているウイキペディアの情報をお読み下さい。

    日本書紀』などによれば、201年から269年まで政事を執り行なった。夫の仲哀天皇の急死(200年)後、住吉大神神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫より玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗百済も朝貢を約したという(三韓征伐)


    新羅の血を引く神功皇后は朝廷の天皇主権争いで、百済の勢いに負けた新羅一族の今後をどうするのか問われる立場になっていたのです。

    「今後、一切、新羅が表に立たず、百済を影で支えるのならば、親族の命は救う」と約束させられた証として、自らの母国である新羅を責めなければいけない重責を自らが背負い、部下の父母がいる新羅国を攻めに行った時の話しを語ってくれています。

    この神功皇后の朝鮮出兵の戦い以降、完全に新羅一族が百済一族の裏になり、国を守る想いで日本国を裏で支える役目になったことはご理解いただけると思います。新羅一族が日本国に繋ぎ守った大切な物が何かということも、いずれ公開いたします。

    2000年以上続く日本の天皇家の血筋には、このような多くの血肉の争いが影で多くあったからこそ、その真実は語られず、今まで続けてきた天皇家の重要性をご理解頂いたうえで、多くの民族がなぜ、この日本という国で新しい国家を創ろうとしたのか、そこにある思いはとてもつもなく大きな神の意図が絡んでいることを想像して下さい。

    常神社のあとは、常神半島の先端まで行き、この地に辿りついた人たちの想いを全て故郷へ繋ぎ直す祈りを行いました。天に繋がる神々と人の思いが、放射状になって雲が意思を示してくれました。ありがとうございます。





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